2008年03月27日
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フロントラインのフロイライン

Written By: 遠野秋彦連絡先

 世界の片隅に2つの小さな国がありました。A国とB国です。

 歴史的にずっと対立してきたA国とB国は些細な理由で戦争を始めました。もちろん、どちらも勝算あってのことです。隣接する大国のC国から超強力決戦兵器を買い込んだので、必勝を確信しての開戦でした。しかし、いざ蓋を開けてみると、A国もB国も同じ決戦兵器を購入しており、最初の戦闘ではどちらも大損害を受けて痛み分けとなりました。

 損害を減らすため、両軍は陣地を構築して立てこもりました。しかし、どちらも相手が陣地を出てくるのを待つばかりで自分から仕掛けようとはしませんでした。先に陣地を出た方が決戦兵器で攻撃され、負けるからです。

 必然的に戦線は膠着状態に陥りました。

 さて、両軍の陣地の中間に、金持ちの別荘が一軒建っていました。

 両軍の軍人は近隣の農民にこの別荘は何かと尋ねました。農民達は、あれはずっと空き家でさぁ、と答えました。

 しかし、空き家の筈の別荘には1人のお嬢さんが住んでいました。いざ戦闘が起これば激しい銃弾が飛び交う場所に若い娘を置いておくのも問題があるので、両軍の指揮官は立ち退きを勧告しました。しかし、娘は「ハインリヒの帰りを待つと決めたのです」の一点張りで、立ち去ろうとはしません。

 さて、両軍とも敵軍の監視は怠りませんでした。しかし、監視の兵達の視界にはこの別荘も入ってしまいます。しかも、水着姿で優雅に日光浴するお嬢さんも見えてしまいます。陣地にこもり、女に飢えた兵士達に、これはあまりに目の毒でした。

 とうとうある夜、兵士の1人が別荘に忍んでいきました。すると、驚いたことに兵士は「ハインリヒ、お帰りなさい」と歓迎され、ベッドに招き入れられたのです。

 話が伝わると、どうやらその兵士はハインリヒそっくりなのだろうと噂されました。

 ところが、同様に敵軍から忍んでいった男も同様にハインリヒとして歓待されたという噂が伝わるとムードは一変しました。敵軍のハインリヒは、自軍のハインリヒとは似ても似つかなかったのです。

 思い切って、何人もの両軍の兵士が別荘に忍んでいきました。すると、その全員がハインリヒとして歓待されたのです。

 状況は明らかでした。このお嬢さんは、頭のどこかがおかしくなっていて、男は誰でもハインリヒに見えるのです。

 これは好都合と、女に飢えた両軍の兵士は別荘に通いました。

 そして、順番待ちをする両軍の兵士達は、国籍に関係なく肩を組み、一緒に酒を飲むようになりました。

 もはや、両軍の間に、緊迫したムードはありませんでした。

 近隣の農民は、戦闘が遠のいたことを察知して安堵しました。戦いが起これば彼らの農地もただでは済みません。

 ところが、突如事態は急変します。あまりに多くの兵士が別荘に殺到したので、順番がいつまで経っても回ってこない、という事態が多発するようになったのです。

 どちらの陣営も、別荘を自軍の支配下に置けば自軍の兵士だけでお嬢さんを独占できると考えました。

 両軍の高級将校の多くもお嬢さんのお世話になっていたので、軍の意志決定のレベルで両軍の決戦は不可避となっていきました。

 両軍は、別荘にだけは当たらないように注意しつつ、あるだけの決戦兵器を撃ち合い、そして両軍とも壊滅的な打撃を受けました。

 その結果、戦争は双方痛み分けで、勝者のない終戦を迎えることになったのでした。

 終戦交渉で問題になったのは、別荘の帰属でした。どちらの国家がこの別荘を所有すべきか決定するために、調査団が別荘を訪れました。しかし、そこは空き家でした。お嬢さんが住んでいた痕跡は何も残っていませんでした。

 そんな筈はないと徹底的に調べると、本棚の後ろから1枚の乱数表が出てきました。

 乱数表……、スパイが暗号でも送っていたのか? 調査団は首をかしげました。

 しかし、別荘の地下に両国に隣接する大国であるC国に向けた電話線が埋まっていることが明らかになると、調査団はようやく真相に気付きました。

 両国の軍事情報はお嬢さんを通じて何もかもC国に筒抜けだったのです。

 間もなくC国が両国に進駐してきましたが、決戦兵器を撃ち合って経済的にも軍事的にも疲弊した両国にそれを止める手立てはありませんでした。やがて両国はC国に併合され、消滅して行きました。

 しかし、おかしな噂も残りました。夜になってからあの別荘に行くと、今でもお嬢さんが「ハインリヒ、お帰りなさい」と迎えてくれるというのです。そしてまた、別荘から軍事情報を流していたC国スパイは、農民に扮した中年男性だったという噂も……。

(遠野秋彦・作 ©2008 TOHNO, Akihiko)

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